不登校

不登校を「もしも主婦が料理教室に行けなくなったら」で例えてみた

今回はちょっと視点を変えて、不登校を別の例えで理解できないかという試みをしてみたいと思います。

普通に学校に行っていた親御さんにとって、不登校のお子さんの気持ちというのは実感をもって理解するのが難しいことも多いかと思います。この記事ではお母さんが自分事として不登校を捉えるためのたとえ話として「もしも自分が料理教室に行けなくなったら」という架空のストーリーを書いてみようと思います。

「そんなアホなことないわ」と思われたことでしょう。私も自覚しながら書いています。ないんですけど、お子さんを外側から見てるだけではなぜ?どうして?が増えるばかりかもしれません。お子さん心理を想像するきっかけになればと思って書いております。

設定

  • このストーリーでは料理教室は「義務」という設定にしています。
  • 料理教室を「学校」、料理を「勉強」と読み替えてください。

最近料理教室に通うのが億劫になってきた。そもそもなぜ料理教室(学校)が「義務」なのかわからない。私は料理が得意ではないし、人付き合いも好きではない。1年間はなんとか通いつつ、少しずつ料理もできるようになってきたつもりだ。でもここに来て題材となる料理が難しくなってきたし、他の生徒との間に差が付き始めているのがわかる。最近自覚してきたが私は心配性のようだ。お塩少々の「少々」が本当にこれくらいで良いのかいつも不安だし、出来上がった料理を食べるときは他の生徒や先生に「まずい」と言われないか気になってしかたない。間違っていないか他の生徒に聞きたい気持ちはあるが内気でコミュニケーションが苦手だし、みんなに聞いたら「あなたそんなこともしらないの?」と馬鹿にされそうだから我慢して言えないでいる。他の生徒さんたちは非常に優秀で料理も上手に見えるし、和気あいあいと活発にコミュニケーションをとりながら楽しそうに料理教室生活を過ごしている。そんな他の陽気な生徒さんの雰囲気が羨ましくて話に入ろうとしたこともあったが、私が話すとなぜか微妙な空気になることが多く、対人関係に消極的になっていった。「どうしました○○さん、何か困りごとでも?」先生はそこそこ優しい方で時々声をかけてくれるが、結局は料理が上手な生徒のところにいることが多い。自分の教えを素直に聞いて上達してくれる生徒のところにいた方が先生だって自尊心が満たされて嬉しいに決まっている。そんなことを考えてしまう自分が意地汚く恥ずかしく思えてくる。

それから3ヶ月がたった、我慢して毎日料理教室に通っていたが、なぜかここ1週間はおなかが痛くて朝ベットから起きられず、午後から行く日が続いている。風邪は引いてないし、コロナでもないだろう。料理教室がストレスになっているのかもしれないけれど、行けないほどではないと思っている。でも料理教室のことを考えると少し胸がどきどきする気がするし、休みたい気持ちはあるのかもしれない。でも行かないと夫に怒られてしまう。「でも」ばかりが増えていく。夫は普段は優しく、強い口調では言ってこないが、私が毎朝料理教室に行けるか行けないかに敏感になってきているようだ。「今日は行けそう?」「午後からでも良いよ」という言葉の端々にそれがにじみ出ている。「大丈夫」、私はそう答えるが行きたくない気持ちはなくならない。

今日は初めて料理教室を休んでしまった。友人のAさんが心配してLineをくれたが「大丈夫、心配しないで」と心にもないことを言ってしまった。正直なところ心配してもらってもどうしたらいいかわからない。その間にも他の生徒さんは授業を受けて料理の腕は上がっていく。休んだ分を取り戻さないとと思うけど、次の日もおなかが痛く外に出ることができなかった。

 1週間後。この週は完全に料理教室に行けていない。夫は少し焦っているようで、「将来のためには行った方がいい」「困るのは自分だよ。自立できないよ」等とプレッシャーをかけてくる。別に料理ができなくたって主婦はやれるし、あなたが稼いでくれるなら生活はできると私は思う。今どきはGoogleで調べればなんだってわかるし、UberEatsがあればおいしいものが食べられる。そんなことより私の辛さをわかってくれようとはしないのかあなたは。自然と怒りがわいてくるが、料理ができないというのは主婦としての自尊心を傷つけるのに十分な理由だ。私は罪悪感もあり、「わかった、明日は行くよ」と夫に伝えた。私が腹をくくった様子を見たためか夫は少し安心したようだった。

 次の日、私は行けなかった。なぜだろう、涙が出てくる。昨日の夜は本当に行こうと思ったのだ。その決心に嘘はなかったし、夫に嘘をつくつもりだってなかった。夫は私の手を握り、無理やり車に乗せた。料理教室の前まで来たら諦めて登校してくれると思ったのだろう。夫は先生に電話していたようで、先生が教室の入り口まで迎えに来た。そんな大げさな、と私は思ったし、ここまでする夫が普段とは別人のようで怖さを覚えた。私が尋常でないくらいに泣いていやがったので2人は教室に入れることをあきらめたようだ。その代わりに別の部屋に通されて少し話をしようと言われた。話すことなんて特にないのだが、そうしないと許してもらえそうになく、仕方なく私は従った。「何が嫌なのかな?」先生は私に質問する。私はうまく言葉にできない。「何となく嫌なんです」正直に答えた。「何となくじゃわからないんだけど…」と先生は困った顔をしている。「できることがあればするし、他の生徒さんにも協力を得られるように頼むこともできるよ」先生は言うが、そんな辱めを受けたら私は2度と料理教室に行けないかもしれないと思った。

「行きたいんですけど、なんか、怖くて…」

「何が怖い?」

「料理うまくないし…」

「自分のペースでうまくなればいいよ」

「周りの人はできるから、恥ずかしくて…」

「人と比べてもしかたないし、得意不得意もあるから。ほら、和食は良い点とれているよ」

「なんか、馬鹿にされているような気もするんです…。グループにも入れないし」

「そんなことないよ。そんな生徒がいたら私がちゃんと指導するから」

「人に見られるのがなんか嫌で、教室に入るのが怖くて…」

「うーん…」

見かねた夫が言う。「じゃあ別室で1人で料理してみたら。先生、そういうことはできませんか?」。「できなくはないのですが、先生も出払っていると個別に対応できない時間もあります」。みんななぜ私の気持ちを無視して勝手に話を進めるのだろう。もうそんなレベルの話ではないのだ。私は黙っているしかなかった。今日はこれ以上話しても意味がないと思ったのだろう。「帰って話し合ってみます」と夫は先生に行ったが、「話すことなんてない」と私は思っていた。

 その日の夜、夫は「これからどうするの?」と私に聞いてきた。これまでより少し口調が強くなったようだった。わからないとしか言えなかった。自分が何で料理教室に行けないのか、もはや混乱して自分でもよくわからなくなっていたし、夫に対応する元気がもうなくなっていた。放っておいて欲しい、そう思った。夫は眉間にしわを寄せ、ため息をついた。その息で家の空気が汚染されていくのを私は感じた。夫は次の日からは何も言わなくなった。

 その日を境に私は家にいることを許されたような気持になった。料理教室に行かなくなってわかったことは家にいるということは思いのほか退屈であるということだ。退屈だと料理教室に行けていない自分が惨めで情けなくなる。同時に私の気持ちを理解しようとせず、ただただ行かせようとする夫に腹が立ってくる。せめて「大丈夫?」と心配の言葉をかけて欲しかった。わからないという私の気持ちを「わからないけど辛いんだね」と受け止めて欲しかった。そう思うと家にいるのに涙が出てきた。

さらに1週間がたつと涙も枯れて退屈だけが残った。スマホやゲームをする時間が増えた。運動しないため太ももにも肉がついた気がする。ゲームは数独が好きだ。なぜそんなものをとみんな言うが、別に理由なんてない。クリアすれば少しいい気分になるし、ハイスコアを更新すれば「自分結構やるじゃん」とテンションが上がる。Twitterで「みんな」がやっているのを見て打つ系のゲームもやってみた。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)などと呼ぶらしい。有名なのはAPEXやフォートナイトで面白くてすぐにはまっていった。敵を倒すというのは爽快で自分の不安や苛立ちを吹き飛ばしてくれる気がしたし、敵を倒せば成功体験を積み重ねているように感じた。ゲーム内で仲間もできた。年齢はばらばらだが「今のプレイ良かったね」と褒めてくれるし、失敗したら「どんまい」と言ってくれる。私が初心者で下手という前提があるせいか優しく接してくれる。とは言えずっとゲームをやっていると疲れるし飽きてもくる。そんなときはSNSを見たり、イケメンアイドルグループの推しメンを追いかける、通称オタ活もしている。子どもの頃はよくお絵描きしていたなと思い出し、女の子のイラストを描いてみたりもした。それが続くと生活リズムが崩れ、昼夜逆転気味になってきた。私は何がしたいのだろう、何をしたら良いのだろう、わからないまま時間だけが過ぎていった。

 

続く?

  • この記事を書いた人

モトセ

臨床心理士です。最近は不登校支援に力を入れています。2022年4月にブログをリニューアルしました。お気に入りやtwitterフォローお待ちしています。

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