親御さんや支援者の方を悩ませる不登校児童の心理の本質は何なのでしょうか。
それに答えているのが児童精神科医の成重先生です。
今回は成重先生の考え方をご紹介して、私なりにもう一歩進めた改善策をお伝えいたします。
以下の書籍をまとめた記事になります。
本記事の内容
- 子どもが学校に行けない理由「気後れ」を解説
- 不登校児の「自意識過剰」を軽減する2つの方法
文字数が多いので先に要点をお伝えします。
この記事の要点
- 不登校心理を特徴づけるのは「不安」と「無気力」である。
- 不安は「①気質的な社交不安(分離不安)」と「②気後れ」に分けられる。
- 「気後れ」とは「自分が周囲よりも劣っている」のではないかという潜在的な不安であり、一般的な言葉で言えば「びびっている」のである。
- 「気後れ」が強まる理由は、本人の強すぎる<自己>と弱すぎる<自我>にある。
- それらを改善するためにできることは、お子さんが間違ったり、失敗したり、恥をかいたりしたときに、それを肯定的に評価すること、また、親自身が失敗したり恥をかいたときに「それがへっちゃらなことである」という態度を子どもに見せることでお子さんの成長を促すことである。
子どもが学校に行けない理由「気後れ」を解説
不登校の心理について成重先生は以下のように言っています。
不登校と関連する不安については大きく分けて2種類あります。一つ目は、もともとの気質によるものです。(中略)二つ目は、思春期の対人過敏性による不安、一言で言えば「気後れ」です。(中略)結論を先に言ってしまえば、不登校への対応は「気後れ」を減らすこと以外にやることはないのです。
少し解説しますと、気質というのは「生まれ持った本人の性質」のことです。生物学的には「脳がそういう風にできている」と思ってください。
生まれながらに内気、心配性、人付き合いを怖がるタイプのお子さんもいれば、人懐っこく物おじしないお子さんもいて、前者の心配性のお子さんは学校という集団生活の場が負担になりやすいわけです。
小学校低学年頃(1年~3年生あたり)のお子さんの不登校はこの気質的な不安(母子分離不安)によるケースが多いです。小学生低学年の不登校支援については【もう行かないの!?】小学生低学年の不登校を解説【親が原因?】で書いています。
では次に「気後れ」とは何かです。
「気後れ」とは「びびっている」状態
一般的に使われる「気後れ」とはどういう意味かgoo辞書で調べてみると「相手の勢いやその場の雰囲気などに押されて、心がひるむこと」と書かれています。
成重先生は以下のように説明しています。
対人過敏性が強い状態の子どもに、なんらかのつまづきが生じると、自分のうまくいかなさに対して「自分が周囲よりも劣っている」と感じることでの「気後れ」の感覚が生じてくることがあります。つまづきのきっかけは、人間関係の問題であったり、学習の問題であったりさまざまですが、実際にはそれ自体に大した意味はありません。問題はあくまでつまずきによって刺激された「自分が周囲よりも劣っている」のではないかという潜在的な不安なのです。(中略)こうした「気後れ」こそが不登校と呼んでいる状態の本質的な心理だと私は考えています。
※太字と下線は筆者がつけました。
以前私が図解した不登校のリスク要因では、お子さんのエネルギーの減り方は「リスク要因」と「きっかけ」の掛け算で表されるとお伝えしました(以下の図)。
成重先生が言っていることを私の図で表現すると、この「きっかけ」は大した意味はなく、そもそもの心理的な要因である不安の強さによって、学校に行けないということです。
しかしながら、実際は卑劣ないじめ等、きっかけがもの凄く大きい場合もあるため、「気後れ」(不安)だけで説明するのはやや強引だと私は感じます。
私は「気後れ」というのは一般的な言葉でいう「びびっている」状態のことであり、小学校高学年から思春期にかけての不登校の多くは「恥ずかしいところ見られること恐怖症」と表現できるのではないかと考えています。
ではなぜ「気後れ」が不登校につながるのか、成重先生は以下のように説明しています。
こうした「気後れ」にともなう社交不安は、多くの場合、初期の段階では対象がクラスメイトに限定されるという特徴があります。まずは、かかわりのうすいクラスメイトに対する社交不安が現れます。「自分が周囲よりも劣っている」というときの「周囲」はクラスメイトですが、親しい友人はある程度気心がしれているので疑心暗鬼が生じにくい一方で、かかわりの薄いクラスメイトに対しては自分のことをどうおもっているか想像がつきにくいので疑心暗鬼が生じやすいのです。だから、不登校の初期段階では、学校に行けなくなる前にクラスに入りにくくなる状態が現れます。
不登校児の「無気力」について
不登校のお子さんをカウンセリングしていると概ね2タイプのお子さんに出会います。
1つは学校に行かないといけないのはわかっているけど行けないという葛藤が強いタイプ、もう1つは特に理由はないけどめんどくさいという無気力さが目立つタイプです。
後者のタイプは「やりたいこと以外やりたくない」とよく口にします。
成重先生は「無気力」について以下のように言っています。
不登校の心理として不安と並んで重要なのが無気力です。子どもがよく口にする「面倒くさい」という言葉が象徴的ですが、無気力の一部には、嫌なことや大変なことから逃げる「回避性」が潜んでいます。(中略)うまくいかなさをともなうような場面を避けようとする回避性の傾向は、不登校状態の子どもにおいても見られることがあり、特に勉強面においては顕著に現れます。
こうした無気力や回避性の背景にあるのは、強すぎる<自己>と弱すぎる<自我>があると私は考えています。
もう少し専門的に言うと、お子さんの「無気力」はいわゆる「学習性無力感」に近いかそのものであるということです。
「何やっても成功しなかったからもう無理ゲーや、色々と細かく考えるのめんどいしどうしたら良いかわからんし、とりあえず「めんどくさい」「やりたくない」と言っておこ」というイメージです。
成重先生が背景として挙げている<自己>と<自我>という用語は先生が独自に使っている用語です。不登校の心理や再登校への筋道を説明するうえで非常に重要な概念のため、次の章で詳しく解説していきます。
<自己>と<自我>とは
この本で言われている<自己>は「周囲から定義される自分」、つまり「周りからどう見られているかによって決められる自分」です。
<自我>は「自分が定義している自分」、つまり「自分が自分をどう思っているかによって決められる自分」を意味しています(自我や自己は心理学用語として他にも意味を持っていますが、成重先生の書籍では上記のように定義づけられています)。
ぱっと見でわかるように図にしてみました。
<自己>が強すぎるとは「自意識過剰」であること
”他者から見た自分はこうだろう”という視点で構成される自分が<自己>ですから、<自己>が強すぎるというのはどういうことかというと、一言で言えば「自意識過剰」状態です。
<自己>が強くなりすぎることで、他者からの評価や他者の自分に対する発言に非常に敏感になります。結果として、必要以上に自分を抑えて過剰に適応したり(過剰適応)、何も失敗しないように萎縮して大人しい状態になったり(過剰抑制)、かんしゃくを起し他者に攻撃的になったりします(先制攻撃)。
仮に、一見適応しているように見える状態であったとしても、お子さんご本人は相当な心のエネルギーを使うことになるのです。
<自我>が弱すぎるとは「自己肯定感が低い」こと
<自我>というのは”自分だけが知っている本当の自分”ですから「これはできそうだぞ」とか「むりそうだぞ」とか「本当はこう考えている(感じている)」という本音の部分です。
似たような一般語は「自信」や「自己肯定感」です。成重先生の言う<自我>が強いということは「自分だったらやれる気がする状態」ということです。
しかし、仮に<自我>が強くなったとしても、<自己>が強すぎるままでは「自意識過剰」状態によって再登校してもすぐに疲れてしまい(心のエネルギーが減ってしまい)、再度不登校に戻ることになりかねません。
成重先生も以下のように言っています。
最近、強すぎる<自己>によって周囲に過剰適応し、弱すぎる<自我>によって自信に乏しいというタイプが非常に多くなっています。また、強すぎる<自己>は「気後れ」を生み出します。
不安(気後れ)との関係で言えば、「周りからどう見られているかによって決められる自分」である<自己>が強くなればなるほど、「自分が周囲よりも劣っているかもしれない」という心理である「気後れ」、いわゆる「びびり」は強くなりやすいわけです。
「無気力」に関しても<自我>で説明することができます。
自分が何かをできるという感覚が弱ければ、そもそも何かをしたいという気持ちも弱くなります。これが子どもの無気力の正体なのです。
こうした<自己>と<自我>によって「気後れ」(不安)や「無気力」を説明することで、不登校の心理的支援の方向性を見出すことができます。それが以下の2点です。
【心理的支援の方針】
- <自己>を弱めて自意識過剰状態を少しでも軽減する(気後れを減らす)こと
- <自我>を強めて自信をつけ、何かやってみようと思える意欲を高めること(これまブログで書いてきた心のエネルギーを貯めること)
この世の中には多種多様な不登校対策本がありますが、そこで言われていることの多くは恐らく2番なのです。
だからこそ「ほめましょう」「コンプリメントしましょう」という主張が主流になり、ほめるために本人の活動に少しずつ変化を与える行動の活性化(外出など)が推奨されるのです。
不登校の改善には「社会性」(いわゆるコミュ力、セルフコントロールスキル、問題解決力等)の成長も大切であることは言うまでもありませんが、社会性の成長には他者との関りが不可欠なので、家にいる状態でいる限り大きな向上は望めないと私は考えています。
まずは社会性うんぬんではなく、勇気を出して外に出るメンタルを作る方が先決だと思います。
<自我>の強め方、言い換えるとエネルギーの貯め方はこれまでの記事でお伝えしてきたので、この記事では<自己>を弱めるために親や支援者は何ができるのかについて考えていきます。
なお、強すぎる<自己>を弱める方法については成重先生の本にはほぼ記載がありません。
不登校児の「自意識過剰」を軽減する2つの方法
目標となるほどほどの<自己>が達成された場合どうなるかを先に考えてみます。
恐らく以下のような状態になれるはずです。
- 間違えた、かっこう悪い、恥ずかしい等の「自分が周囲より劣っていると感じる体験」をしても「まぁそういうところもあるか」「まぁ今度頑張れば良いか」「それは自分の一部で全てではない」等と思える(恥への耐性)
- ありのままの自分を受け入れることができる(自己受容)
- 人は人、自分は自分と思える(自他の区別)
- 完璧主義にならない(失敗に対する寛容さ)
このような状態になるためには「恥をかいても必要以上に傷つく必要はないし、それを避ける必要はない」ということを学習する必要がある、と仮定します。
つまり、お子さんはこういったストレスへの耐性について「未学習」(まだ身につけていないだけ)の状態であると捉えるのです。
そうであれば、周囲の大人がそのことを教えてあげれば良いのです。
心理学的に学習の方法はいくつかありますが、ここでは①オペラント条件付けと②モデリング(観察による学習)を使うことを提案します。
①オペラント条件付けによる方法
オペラント条件付けを簡単に言うと、増やしたい行動のあとにごほうびをあげて行動を増やし(強化)、減らしたい行動の後にごほうびをあげなかったり罰を与えたりして減らす(消去)ことです。
ここでは罰を与えるのはちょっと難しいので、行動を強化することだけを考えます。
つまり、「お子さんが恥をかいた、失敗した、できていない、周囲より劣っていると感じられたときに、大人が肯定的なメッセージを送ること」によって「恥をかいても必要以上に傷つく必要はないし、それを避ける必要はない」という意識を学習させるのです。
お子さんに対する日常的な「声掛け」の具体例
- (子どもが何かしら間違いや失敗をしたり、恥をかいたときに)あら、それは良い経験したから今日はごちそうにしよう。
- ナイストライだね。どうしていつもと違うことを試せたの?
- 失敗したかもだけどそのやり方私は好きだけどね(お子さんの選択を「好き」と言う。好き嫌いは主観的であり否定できないため)
- ドンまーい!と一言。
- (お子さんが不当に責められたとき)それは相手が悪いのだから恥じることなんてない、次やられたら私が出るから、教えなさい。と徹底的に味方になる(ただし、お子さん本人に明らかに過失があるときはきちんとしつけです。どうしてそう言ったのかしっかり理由をきいたうえで、言われた相手はどう思うか等、共感性を育てる必要があるでしょう)
- 日頃から「あなたはあなただからね」と何回も伝えて刷り込む
- 前の自分と比べたらどうだった?と聞く(他者と比較するのではなく、過去の自分と比較するんだよと日ごろから伝えていく)
- 生物学的な比喩を使う(例「あなたはあの子と全然違う遺伝子や体を持っているんだから、考え方だって違って当たり前でしょ」「(他者に馬鹿にされたときに)そもそも比べることに無理があるんだよ。他の人はそういうこと教えてもらってないから、自分の方が優れていると思いたがるけど、人の魅力は比べることなんてできないんだよ」)
- さすが私の息子・娘だね。お母さんも同じことで失敗したよ
だいぶ強引に聞こえるかもしれませんが、強すぎる<自己>を弱めることは不登校に関わらず自分らしく生きるために大変重要なことであり、不登校に限らずやって欲しいコミュニケーションです。
注意点としては、お子さんの失敗や不出来自体を大したことはないじゃんと「軽く見ること」とは少し違うということです。
「失敗や劣っていることを認めることは恥ずかしいことではないんだよ」、ということを伝えたいわけです。
もう1つ、お子さんの行動にどうこう言うのではなく「親自身が「失敗なんかへでもない」ということを見せて教えてあげる」のが「モデリング」(観察学習)です。
②モデリング(観察学習)による方法
親自身が間違えたり恥をかいたり失敗したりするような周りの目を意識せざる負えない事態になったときに「大した事ないよ」という姿を見せることで、「恥をかいても必要以上に傷つく必要はないし、それを避ける必要はない」ということを子どもに学習させる方法です。
具体例
- 母「あーやっちゃったー恥ずかしー(笑)」→夫「どんまーい(笑)」(笑顔で言うところが大切。要するに大切なのは雰囲気なので)
- 「今日こんなへましちゃったよ」「落ち込んだわ」「しょげたわ」「惨めだったわ」とあっけらかんと話す。(それによって「そう思ったけど大丈夫だった。大したことにはならなかった。過度に気にする必要はない」ということを暗に子どもに伝える)
- 母「お父さんそういうところあるよねー」(いじる)→父「やっちまったわ!恥ずかしい!」(軽やかにのっかる)→母「でもそういうところもかわいくて好きだけどね、うふふ♡」
- 「まぁ1ヵ月したら誰も覚えてないから大丈夫!」
- 「もし他の人が色々言ってきたら「自分のことより相手のこと考えているなんて暇な人だな」と思いなさい」と伝える。
- 要するに、親が自然体でいる姿を見せることで、自然体でいることが魅力であると伝えること。
逆に、親が失敗して恥ずかしそうにしていると「恥ずかしいことはいけないことなんだ」というメッセージになりお子さんの<自己>を強めることになりそうです。
私の家の場合は親父がよく物をなくして母親があきれてた時に、親父が言い訳して恥ずかしそうにしていました。
そのこと自体を見てて私自身がなんとも言えない恥ずかしい思いをしていたのを思い出します。
こんなことをしていたら恥を知らない人間になるのではないかと不安になるかもしれませんが、不登校児のような過度の自意識過剰状態にあるお子さんにはこれくらいやって人並みの<自己>なるのではないかと私は思ってます。
不登校に圧倒されない「希望」をもつ家族になるには
この方法はもう1つボーナスのような効果があります。それは家庭の雰囲気が(ちょっと)明るくなることです。
不登校のお子さんがいるご家庭というのは多くの場合気を遣っているせいで微妙に(もしくはあからさまに)空気が張りつめています。
気にしないようにしているけど気にしているのが何となく伝わる雰囲気とでも言いますか、説明が難しいんですけど、そういう雰囲気があります。
また、お子さんがどんなに攻撃的だったり反対にのほほんとした態度であっても、学校に行けないことへの負い目というのはあるものです。
そういう家庭において、日ごろの失敗やできの悪さを気にすることなく笑い飛ばせたり、むしろ良いじゃんというなコミュニケーションがあることは、不登校家庭だけど、私たち家族は不登校なんかに圧倒されてませんよ、という現実を構成することになるのです。
そういう家庭であれば、お子さんが学校に行く・行かないにかかわらず、いつかお子さんは自立のために行動をとることができると私は思います。
かなり長くなりましたが子どもが学校に行けない理由について紹介させていただきました。
成重先生の本は大変参考になりますので、支援者の方だけでなく、親御さんにも役立つと思います。特に家庭内暴力やネット・ゲーム依存についても書いてある点が素晴らしいです。
私もyoutubeで不登校対応について話していますのでよかったらご覧ください。